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『ほんとうは、どうしたい?--他の誰でもない、この人間を生きること--』
佐々木ののか・しいねはるか (著), 地下BOOKS, 2025年5月1日
気になった箇所の引用
しいねさんのお手紙を読んでいて、深く頷くところがたくさんありました。たとえば、婚活中に体調を崩してしまったしいねさんが「虫がいて、草のにおいがして、星もきれいで、眺めているだけでなんだか元気になってきて」とお話されているところ。「自分のなかの自然を感じられるようになりたい」とか「風通しをよくしておこう」とも表現されていますが、東京でひとり暮らしをしているときは、むしろ心身を麻痺させなくては生きていけないような状態だったので、感じることが難しかったのです。心身の状態を外にひらいておくことは、すごく難しくて時間がかかることもあり、忙しい毎日の中でいちばんに切り捨てられる対象になることも多いと思うのですが、そこをなんとか保っておけるような生活をつくっていきたいなと思っている今です。
P. 35
みかちゃんとの出会いがきっかけとなり、本を読む習慣がついた。
P. 100
今まで知らなかった言葉や概念を知ってしまうと、気になることが増えていく。知らないことを自覚することはできても、知らなかったときへと戻ることはでない。そんなもやもやを話せることがうれしかった。
自分のなかの前提が強すぎるとき、かたくなな個の状態がある。どうにか自分だけで解決しようとするし、自分の目で見たものだけを信じたい。とはいえ自分の目から見えないものを見ないままにすれば、今ある状態を認識しきれない。
P. 127~128
頭の中にある情報や過去のデータを特別扱いすることで、目の前にあるものを見ないままにしていないだろうか。自分のなかの前提にこだわりすぎて、壁をつくるようなものの見方をしていないだろうか。知識だと思っている前提は、一旦外してみてもいいのかもしれない。
わたしは目から入った情報をまにうけてしまいがちなのでこれからは、内側に眠る野生を育てていきたい。
前提を置いてただ感じてみることで、しがみついていた価値観のようなものが溶けていくことがある。
せまい視野になったときの考え事は保留、一旦チャージ。ととのった身体から考える。もやもやしたときは、きもちが晴れる方向へと風を通す。
だとしたら、社会を変える前に、自分の欺瞞を認めることから始めるべきではないだろうか。自分が赦せないシステムに自分も加担していると認めること。「想像」をしても理解できない、あるいは取り零しているものが絶対にあると認めること。まずはそこから始めるべきで、そうすることでしか始まらないと、私は思う。
P. 140
風景を変えるだけのことにそんなにも時間と労力を割くなんて、と思われるかもしれないけれど、少なくとも私にとっては、風景を変えることは切実なことだった。見飽きた景色を眺めていると息が苦しくなって、こんな状態で私はあと何年生きなければいけないんだろうと思うと、気が遠くなる。それに、風景が変われば、〈私〉も変わってくる。新しい景色を見ながら、〈私〉を生き直せるとしたら、もう少しだけ生きてみてもいいかなと思える。
P. 157~158
誰かを愛するということは、私とあなたはどこまでいっても別の生き物だという事実を引き受けることだ。そうでなければ、他人という鏡に映る自分を愛することになってしまう。
P. 162
間違ったり、迷ったり、くじけたりしても、またこの場所に戻ってくればいい。そう思っていると、安心して前に進むことができます。「生きやすくなるためのきっかけを教えてほしい」と言われたら、「自分のなかにRPGゲームに登場するようなセーブポイントを持つこと」と答えるかもしれません。最初は読者の方に手渡したいと思っていた答えに、図らずも私自身が救われてしまいました。
P. 176~177
感想と思考
自身が取り零しているもの・視野に入っていない景色は、ぜったいにあるのだ、ということに気づくこと。「良心」や「善意」だけでは決してすくうことのできない、いうなれば「知識」がなければとらえることのできないものが必ず存在するのだということ。その考え方を常にとめておくことの大切さを、本書は優しく、けれども真摯に、私の心に訴えかけてくれた。
裏返せば、「良心」に基づく差別をなくすには、仮にそれがよいものであろうと悪いものであろうと、投影されるイメージを確実な知識に置き換えていかねばなりません。ポイントは「よいものであろうと」の部分です。イメージの投影そのものが差別の温床であるのならば、「褒めている、持ち上げている」のだからかまわないわけではない、と考えることが重要です。
『LGBTを読みとく――クィア・スタディーズ入門』森山至貴 (著), 筑摩書房 (ちくま新書), 2017年3月10日
またこの本は「ZINE」という、いわゆる商業出版された本ではない体裁をとられたものだ。そのため著者となっているお二人に対して、こころなしか「より身近な」場所で生きているにんげんの方たち、というような感情をいだきつつ読み進めることもできた。
ある種の階層しかり、暮らす土地しかり、どうしても「自分以外の他者」とは差異がうまれる。心躍るような共通点をみつけたとしても、やはり目前のその人は「私と全く同じ人間」などではない。そこにおもしろさを見出すのか寂しさから離れてしまうのか……はいろいろな要素が絡み合いつつ決定づけられてゆくものなのではあると思うが(そしてべつに、距離をおきたいと感じた相手にそれでもしがみついたりひたすらに giver になってあげたりする義理などももちろんないと思うけれど)、それでも「他者と関わる」というその営みはとても(ときに)むずかしいことであり、「目には見えないものを見ようとする」姿勢が互いにあって初めて育み始めることができるものなのではないかな、と私は本書を読むなかで思った。
私の、好きで大切にしている言葉がある。いわきちひろさんが書かれた「大人になること」という文章の一節の最後のひと文、「大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います」というものなのだけれど。
これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。
ちひろのことば |世界初の絵本美術館|ちひろ美術館
他者とは結局は、最後まで「よくわからない」存在である。わかった気にこちらが勝手になっていたとしてもきっとそれはあくまでも虚構で、相手自身にしか見えないもの、こちら側にはどうしたって出すことのないものがあるはず、というのは当然のことであろう。
けれどもそういった事実もすべてまるごと受け入れて、それでも目前にいるその相手のことを知ってあげたい、こころを抱きしめてあげたいと芯からおもうことができたとき、自身はその相手のことを「愛する(それは必ずしも恋愛的な意味のみを含意するのではなくて、もっともっと広い文脈で)」ための一歩を踏み出しているのではないだろうか……。そんなふうに私は、感じることのできた一冊だった。
