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『博士の愛した数式』
小川洋子 (著), 新潮文庫, 2005年2月1日
気になった箇所の引用
私はベッドの端に腰を下ろした。それ以上、何が自分にできるのか見当もつかなかった。初歩的なミスどころか、私は致命的なミスを犯してしまっていた。
P159
毎朝、目が覚めて服を着るたび、博士は自分が罹っている病を、自らが書いたメモによって宣告される。さっき見た夢は、昨夜じゃなく、遠い昔、自分が記憶できる最後の夜に見た夢なのだと気付かされる。昨日の自分は時間の淵に墜落し、もう二度と取り返せないと知り、打ちひしがれる。ファールボールからルートを守ってくれた博士は、彼自身の中では既に死者となっている。毎日毎日、たった一人ベッドの上で、彼がこんな残酷な宣告を受け続けていた事実に、私は一度も思いを馳せたことがなかった。
各々三人に役目があること。お互いの息遣いがすぐそばに感じられ、ささやかな仕事が少しずつ達成されてゆくのを目の当たりにできることは、私たちに思いがけない喜びをもたらした。オーブンの中で焼ける肉の匂い、雑巾からしたたり落ちる水滴、アイロンから立ち上る蒸気、それらが一つに溶け合い、私たちを包んでいた。
P260
「遅すぎはしないかね」
P264~265
「大丈夫です。心配はいりません」
博士と出会ってから、何度この同じ言葉を使っただろうか、と私は考えた。大丈夫です、心配いりません。散髪屋で、診療所のレントゲン室の前で、野球場から帰るバスの中で。時には背中を、時には手をさすりながら。しかし本当に博士を慰めてあげられたことが、一度でもあっただろうか。博士の痛みはもっと別のところにあったのに、自分はいつも、見当違いの場所ばかりさすっていたような気がした。
「そのうち帰ってきますよ。大丈夫です」
なのに私が口にできるのは、やはり代わり映えのしない言葉だけだった。
感想と思考
ずっとずうっと、積ん読になっていた本。去年の秋頃に大好きなひとから「私はこの本が好きなんだ」って教えていただいて以来、私の枕元ですん……っと、読まれるときを待ちわびてくれていた、この本。
読みながら、時折思いをはせた。あの頃の私には、もう戻れない。思い出すとどこかきゅっと胸が苦しくなるような気もするし、けれど毎回手渡してもらった、優しいあたたかさは依然としてここにあるような気も確かにする。わからないけれど。過去の私が今の私を見たときに、どんな感情を抱くのかは、今の私にはもうわからないけれど。
それで、と私は思う。この不可逆的な時間に波乗ることを余儀なくされているならばせめて、その寂しさと恐さに抗うとまではいかなくても(というかむりだ)そっと、寄り添う温もり、温度が必要なのではないのかな、と。確かにそこに血の流れているあたたかい温度をもった、時の流れにともに身を委ねる「誰か」の存在をも、私たち人間はきっと必要としているのではないか、と。
おそらく今私が日々つのらせているこのどうしようもない胸の痛みも、そんなところから結局は来ているんじゃないかなと思う。ひとが怖いのは相変わらずだけれど、それでもやっぱり、生きるものの温度が恋しいから。
大丈夫だよ。いつか。