読書記録 – なにごともなく、晴天。

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なにごともなく、晴天。 by 吉田 篤弘
平凡社 2020年11月20日 (旧版: 毎日新聞社 2013年2月)


2020年の12月に購入したが(見返しに日付をメモしていた)、そのまま積読として長らく放置されていた本。数日前、急に目に留まりその後一気に読み終えてしまった。


どんな本?

鉄道の高架下が舞台の小説。主人公・美子をはじめとする、そこで暮らす人たちによって繰り広げられる日常は「何気ないもの」そのもの。けれどその「何気なさ」は、いくつもの「秘密」によって成り立っているものである―。
「なにごともないこと」の不思議さと暖かさ、それに切なさなどを感じさせてくれる物語。

心に響いた箇所の引用

私がこの本を書店で手に取った理由は、「装丁に惹かれて」だった。もう約2年前のことなのに、この本を見つけて胸が踊った瞬間……そのときの感情と光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。つまり、私はこの本が「読み始める前から」既に心に響いていたのだ。

だからもちろん本文中にも、気に入る箇所は数え切れないほどあった。今回はその中でも、特にいいなと思った部分を3箇所引用する。

でも、これだけ「じつはね」が連続すると、犬も歩けば棒に当たるではないけれど、この世には、大なり小なり、人の数だけ「じつはね」があると思った方がいいのかもしれない。
なにごともなく平穏無事な日々というのは、多くの人たちの「じつはね」で成り立っている。
この世の平穏は、多くの人たちのやせ我慢と隠しごとと沈黙で出来ているのだ。なんだか、さみしい結論だけれど、そんな結論に至るしかないのなら、探偵なんてものは、もうこの世に必要ないのかも。
それに、隠しごとがないことを「平穏」と呼ぶはずなのに、平穏のために隠しごとをするなんて、平穏を裏切っているみたいだ。

P123

「まさか」と自分に小声で言って、手もとのクリーム・ソーダを眺めてから、また視線を戻した。向こうもこちらを見て少し笑っている。間違いない。嘘みたいだけれど。
それとも、結局、私は尾行されていただけなのか。
いや、そうではなかった。ここでこうして会うのは思いがけないとしても、私と女探偵の出会いは、すでにもう済んでいる。つまり、奇跡のようなことは済んでいて、これは一見、嘘みたいだけれど、その奇跡の延長に過ぎないのだ。それはそうなのだが、しかし、もういちど会いたいと思っていたひとに、そう思っている最中に会うのは、やはり奇跡だろうか。

P162

しかし、物語はどれほどつづきを書いても終わりは来ないのだと、今回のエピローグを書いて、あらためて思い知らされました。
いえ、終わりが来ないことが、いつでも物語の希望なのだと確認した次第です。

P285

感想と思考

「なにごともない」という言葉には、いったいどれだけ深い意味があるのだろう。この本を読み終えたとき、私はまず1番にこう思った。だから私はこのことについて、少し考えてみることにした。

この本に出会う前の私にとって「なにごともない日」というものの意味は、字面通りでしかなかった。特別なことも、すごくおめでたいことも、べつにない。かといって、大変な事件なんかが起こるわけでもない。大きなストレスを感じるわけではないけれど、特に驚いたりひどく喜んだりすることもない。プラスでもマイナスでもない、そんな日々こそが「なにごともない」日常を形作っている、そう考えていた。

けれど、美子の言葉によって私の考えは少し変えられた。一見平凡に見える「なにごともない日」というものの裏には本当は、たくさんのひとの思いが隠されているのだ、と。

日々の生活をこの地球上で営んでいる人々には、(当たり前だけれど)それぞれの物語がある。そしてそこに含まれているのはきっと、平凡な出来事や嬉しい感情だけではないだろう。悲しみも苦しみも、辛いこともきっといくつもあるはずだ。

それでも人々は懸命に、なんとかして今日を「平凡な1日」とすることができるように試みる。「なにごともない日」を過ごすことができるように、ときに自分の感情に蓋をしたり、背を向けたりして、心の平穏を保とうとするのだと今の私は思う。


私にも、思い当たる節がある。

私には、会いたいという思いを長い間ずっと抱いている(けれど未だに会えてはいない)人が何人かいる。それこそ(君子さんじゃないけれど)探偵かなにかに頼み込んで、探してほしいと思うことだって確かにある。会いたくて会いたくてたまらない人たちなだけに、それぞれの顔を思い浮かべると涙が出そうになることだってある。

けれど一方で、心のどこかではその感情に対して、言い訳をしている自分もいる。「会いたい」と願っている時間こそが本当はいちばん幸せなものなのだ、とか。会いたいと思ってはいつつも、いざ実際に再会してしまったら互いに傷つくだけだろうから、結局現状のままの方がいいのだ、とか。もしかしたらこれらの考えは、あながち間違ってはいないのかもしれない。でも紐解けばきっと、「なにごともない日」を壊したくない、手放したくないという思いが根にあるのだとは思うのだ。


あとがきによると、この本のストーリーは東日本大震災が起こったことで固まったそうだ(アイデア自体は、それよりも前から温められていたらしいが)。平凡な日常が急に壊され、不安がふくらむばかりの日々。それでもやっぱり……人々は、どうにかして「なにごともない日」を送るべく努力していたのだと思う。

「なにごともない」ということ。それは表からは、どうってことのないものにしか見えない。でも本当はその裏には、「なにごともない」という言葉なんかでは到底言い表せないほどの複雑で、綺麗なだけではない出来事や感情が隠されている。この物語は、そう私に教えてくれた。

「なにごともない日」というのは、さまざまな想いが互いを思いやりながら編み出される、繊細な芸術品みたいなものなのかもしれないなぁ……。

そら / Sora

通信制高校に在籍中の17歳。 気に入った本や、日々の生活を通して感じたことなどを思いのままに綴ります。 趣味は読書、手芸、それに音楽を聴いたり歌ったりすることです :) I am Japanese, 17 years old and a homeschooler. Keep up with my daily life and journals!! Fav -> Reading, Handmade, Music, etc

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  • Post last modified:October 28, 2023
  • Post category:Books