読書記録 – 「原っぱ」という社会がほしい (Part 2)

読書記録 – 「原っぱ」という社会がほしい (Part 2)


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「原っぱ」という社会がほしい by 橋本 治
河出新書 2021年1月20日


前回の投稿にも書いたとおり、今回私はこの本の読書記録を2つに分けている。そして今書いているこれが、「2つ目」だ(なお、「1つ目」の投稿は右記のリンクのもの。→ 読書記録 – 「原っぱ」という社会がほしい (Part 1) | FUTURE KEY (future-key.com) )。


どんな本?

過去の著作や公演の記録などをもとに、昭和から平成にかけての時代の変遷や、あるべき社会の姿などのテーマに対する橋本治さんの論をまとめ、再構成した本。また「子供の遊び」と「学び」や「社会構築」などの関係性についても、この本を通じて考えを深めることができる。

心に響いた箇所の引用

前回の投稿では、私は主に「情報」について引用したり感想を書いたりした。そこで今回の投稿では打って変わって、「遊びとルール」についていろいろと思考を深めてみることにする。ちょうどこの本のタイトルにもなっている「原っぱ」の原理について考えてみる、ということだ。

ちなみに今回は、少し引用する量が多めになった……(笑)

で、小学校っていうのがね、なんていうんだろう?やっぱり、いじめっ子がいて、優等生がいて、っていう風に、全体の中に小さなセクトが多島海に浮かぶ島のようにポコンポコンってあるっていう、そういうクラスだから、全体が一つであったっていうようなもんじゃないとか思うのね。今だともう人間と人間との間、あの、いろんな職業の家っていう、そういう違いみたいなのがなくて”一つ”っていう風になっちゃうけど、昔だと多島海にポツンポツンと色んなグループが浮かんでたみたいなのがあるんだよね。その中のどこかに属して細々と生きてって、みたいなのがあるんだけど、ところが”横丁”というセクトは全く別でして、これはもう、一つの領域の中にみんながザザザザザーッと流れ込むような、そういう世界でしかないのね。

P144

ところがさ、子供の遊びっていうのは、こう、遊んでいくうちに、「ねェ、こういう風にしない?」って、ルール作っていっちゃって、自分達の躍動の方面にルールを広げてって、そこで、どんどん遊びの概念広げてっちゃう、そういうものが遊ぶっていうことだから、きちんとしたルールの中に収まることってないのね。だから、原っぱで近所の子達と遊んでましたっていうと、今だと「野球してたんでしょ」ってことになるんだけど、別に野球してたわけじゃないのね。野球してた時期もあるんだけれどもね、野球がね、突然、ガラッとチャンバラごっこに変わっちゃったんだよね。ある時期からね。

P148

だから、ルールってあってないようなものなのね。その時に一番盛り上がれて「これで満足できてうれしい」っていう、そういうものがルールの根本であるみたいなところがあって、それは俺達だけじゃなくて、どっこもかしこもみんなそうだと思うんだよね。

P158

(前略)制度に縛られなきゃ何か出来ないっていうことが、僕には分かんないのね。ルールって、自分で作ってけばいいんだし、ルールを作ってくには、一歩をまず踏み出してしまったその足が何を、どっちの方向を指すかっていう、そういう方向が分かってさえいれば、ルールになるものが自ずから出てくるものだもん。それを信じてるのが人生なんだもん、っていうのがあるから、自分の倫理っていうのは自分の生きてく方向にすっと出てくんだよね。

P187

感想と思考

「制度に縛られなければ何もできない、という意味が分からない」という橋本さんの言葉に、私は深く共感した。そうだ、そうなのだ。「ルール」や「制度」なんてものは本来、私たちを苦しめるためにあるものではない。

社会にはいま、「ルールに私たちが操られている」と感じざるを得ない瞬間がたくさん溢れていると私は思う。「守らなければ」とその「ルール」自体に固執するあまり、本来の目的を見失っていることが多いように私には感じられる。

きっとその「ルール」を作った当初は、それが私たちを苦しめることを願う人なんて皆無だったはずなのに。むしろ、その「ルール」は私たちをより生きやすく、生活しやすくさせるために制定されたはずなのに……。

今までずっと私はそう考えていた、けれどなぜそのような状態になってしまっているのかについては分からなかった。でも、今回この本を読んで(現時点での)答えにたどり着けた。「原っぱ」がないからだ。


橋本さんが述べているとおり、現在の社会では「多島海型」の集団は以前と比べて圧倒的に減少している。1人ひとり、独立した「個人」を単に集めた形の集団になっているということだ。

だから私たちは無意識のうちに、ひとりよがりな考えに陥ってしまう。他者の意見を取り入れなくたって、何も不利益を被ることなく生きていけるから。むしろ自分のスタイルを終始貫いたほうが、自分にとっては居心地がいいから。

そしてその結果、「今あるもの(例えば『ルール』など)に固執する」ということが起こる。

「混ざり合い、譲歩しあう」
「荒波を立てないように、そこにいる皆がある程度満足できるようにするために、『現在』を柔軟に変化させる」

この2つのことを行う経験が減ってしまったから「変わることを怖いと思う」社会が、出来上がりつつあるのだな……と、私は橋本さんの考えに触れたことで結論づけた。


「学び」と「遊び」の間にはきっと、切っても切れない関係があるのだと思う。私は今回この本を通して、そう強く感じた。けれどまだ、それに対して今の自分が深い理解を示すことができているかと言われると、とてもそうは思えない……。

だからもう少し、このテーマについて考えてみたい。ひとまず次は、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んでみるかな(下記の本)。何かヒントになるものが、次の本にも含まれていますように!

そら / Sora

通信制高校に在籍中の17歳。 気に入った本や、日々の生活を通して感じたことなどを思いのままに綴ります。 趣味は読書、手芸、それに音楽を聴いたり歌ったりすることです :) I am Japanese, 17 years old and a homeschooler. Keep up with my daily life and journals!! Fav -> Reading, Handmade, Music, etc

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  • Post last modified:October 28, 2023
  • Post category:Books